今回は、東京都北区「西が丘(にしがおか)」の地名の由来について
ご紹介したいと思います。
現在の「西が丘」は、大きく分けて「住宅街」と「公共関連施設地区」に分かれています。
住宅街は北区の中でも高級住宅街に位置付けられており、景観法によって敷地の最低面積等が決められおり、小さい家が乱立することを抑止しています。
「公共関連施設地区」には、「味の素ナショナルトレーニングセンター」等のオリンピック関連施設や「国立サッカー場」などのスポーツ施設、機動警察の基地や官舎等があります。
また、現在は官舎になっている西が丘3丁目には、入国管理局もありました。
上記のような公共施設が数多くあるのは、この周辺が日本陸軍の施設だったからです。
西が丘一帯は、江戸時代には稲付(いねつけ・いなつけ)村の西側にあり、小字として、「梅ノ木」「庚塚(かのえづか)」「島下り」「出井頭(でいがしら)」「西山」といった地名が存在していました。
ところが、昭和40年の住居表示整備事業の際に稲付西山町の住民から「西」の字を使った新町名を希望する声が上がった為、現在の「西が丘」という地名が生まれました。
稲付という地名は少なくとも1448年から赤羽西や西が丘一帯の地名として存在していたことが確認されている古い地名です。
なぜ、町民が古くからある「稲付」の地名から新しい地名に変えたかったのか・・・
ちょっと気になります。
また、これにより「稲付」という地名は完全に消滅してしまいました。