東京には当時35の区がありましたが、1947年(昭和22年)に、東京都 区域整理委員会の23区案に基づき、王子区と滝野川区が統合して北区は誕生しました。
名称の選定にあたっては、王子区と滝野川区の区会議員により区名選定委員会が組織され、検討がされました。
候補には「飛鳥」「飛鳥山」「赤羽」「京北」「城北」などが挙げられていましたが、「飛鳥」「飛鳥山」が当用漢字の音訓表の問題で却下されるなどした為、最終的に「京北」と「城北」の2案が残りました。
選考中、区が都のどの部分に位置しているかを示すことが有意義であるとの説が強まった為、単に「北」とすれば良いとなり、1947年(昭和22年)2月25日に「北区」を正式名称とすることに決まりました。
しかし、あまりに簡素で意味の無い名称との意見もあり、地域住民からは不満の声が多かったそうです。