武士(豪族)の豊島清元(清光)氏が紀州より若一王子(熊野権現)を勧請した際に、王子村の名前が付くまで「王子」も含めこの辺り周辺は「岸村」と呼ばれていました。
「岸町」には「王子稲荷」や「名主の滝公園」等の史跡も点在しています。
現在は「王子稲荷」と呼ばれていますが、明治14年に内務省地理局が出版した「新編武蔵風土記稿18巻」では、「王子稲荷」ではなく「岸稲荷」と呼んでいます。
「名主の滝公園」は名主であった「畑野孫八」によって開かれた庭園で、当時は避暑地として使用されていました。
その後所有者が貿易商の「垣内徳三郎」に移ってからは、栃木県塩原に模した奥深い谷の趣のある庭園に改修され、一般に公開されるようになりました。
また、名主の滝は「王子七滝」のひとつでもあります。
岸町の地名の由来は定かではありませんが、旧荒川の河口が岸町周辺にまで入り組んで入り込んでいた為、「入江の岸」という意味から名付けられたと言われています。
岸辺であったこともあり、岸町には崖地や坂が多くあります。