そしてその坂には名称が付いており、その名称を知ることで、その周辺が昔どんな環境だったのか、住人がどのような生活をしていたのかを知る手掛かりとなり、とても面白いです。
今回ご紹介する坂は、「板橋区志村2丁目7番17号付近」から、「板橋区志村2丁目27番8号先」まで延びる「清水坂(しみずざか)」です。
この坂は、日本橋を起点とする旧中山道で「最初の難所」と言われていました。
【出典:国土地理院発行2.5万分1地形図】
坂の形状は左右に蛇行しており、途中から大きく西側に曲がっています。
坂の上と下では高低差が約12.5mあり、長さは約170mあります。
現在は「清水坂」という名称ですが、「隠岐殿(おきどの)坂」や「地蔵坂」など、時代によって呼び方が変わっています。
【清水坂の石碑(坂の下側)】
清水坂は、都営三田線「志村坂上」駅前にある交番脇を中山道に沿って、少し入ったところから始まっています。
【清水坂(坂上側から撮影)】
清水坂を下り始めると、すぐに馬頭観世音の石碑がマンションの前に残されています。
石碑を見ると「大正五年に建立された」と記されています。
【清水坂 馬頭観世音の石碑】
初めのうち、坂は緩やかに右側に曲がっています。
しかし、少し行くと今度は左側に曲がっていきます。
大きく左に曲がったところです。
昔は旧中山道で唯一富士山が一望できた場所だったそうなので、大きく曲がり切るこの辺りから見えたと思われます。
ここが坂の終端になります。
現在、この先には都営三田線の「志村三丁目」駅がありますが、当時は「板橋宿」と「蕨宿」の中間の合の宿(あいのしゅく)になっていました。
【清水坂 坂下(板橋区志村2丁目27番8号先)】